2011年1月22日土曜日

DC6日目、ルームメイト

尊敬し尊重し合える関係になることもあれば、友達関係すら壊れてしまうことも。アメリカで見てきたルームメイトの形は様々。

絶対に自分たちなら上手くいくと、ノリノリの気分で一緒に住んでみたものの。家の契約が切れる頃にはお互いを貶し合っている、なんて良くある光景だった。好きだった友達を、嫁と姑の関係のようにとことん貶しあえるのだから、人の気持ちの移り変わりの早さには驚かされた。

逆に、自分とサムのように、若干苦手意識もあった者同士が、最後には信頼し合える関係になることもある。一緒に住んでいると相手の良い点が嫌でも見えてきてしまう。嬉しくなり、勝手に尊敬し始めるようになる。自分の場合は、そうやって尊敬と信頼の気持ちを高めていった。自分と相手にその資質がなければ別だろうが。

ルームメイトの存在を通して、多くのことを学ぶ。自分の長所、短所はもちろん、人と一緒に生きて行くこと、はたまた人生について。相手を見て学ぶこと、相手に干渉して学ぶこと、相手に干渉されて学ぶこと。相手の人生は自分とは違うと言ってしまえばそれまで。邪魔をされることはないが、学ぶこともない。しかし、一緒に住んでいるのだからと、おせっかいを兼ねて口を出す。相手にもっと良くなって欲しいという気持ちがあるので、口を出す。傷つくこともあれば、素直に嬉しいこともある。そうやって成長することができる。自分一人で住むよりも、自分の世界だけに固執するよりも、成長することができる。そこに自分とは異質の相手がいるから。ルームメイトという関係は大切だ。成長したいからこそ、この関係が大切だ。

ふと、日本でルームメイトを作ることができるのか、と悩む。成長はしたい。ただ、相手のことを考えて、尊重する余裕が自分にはあるのか。疑問が残る。働いて、仕事のことを考えて、その後遊んで。帰って来てからも、他人のことを尊重することが出来るのか。疑問。

成長することとは、こういう疑問、疑惑、混乱、苦悩を乗り越えることなのだろうか。会社で疲れた、仕事が大変だったと言って、そこで終わってしまえばそれまでの人。その後、相手と一緒に努力することができる、リラックスすることができる、そんな環境を作り上げることが出来る人間にならなくては。そう考えると、やはり若いうちにルームシェアをもう一度、二度、三度としてみたい。そうして大切な人たちと出会って、もっともっと成長していける気がする。

早く社会人になるのが楽しみだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿