2011年1月20日木曜日

5日目、時間の使い方

6時に家に着き、家族全員でテーブルを囲む。家族全員が窓際族ということではない。

アメリカでの普通の家族の働き方、というよりも成功している人たちの働き方がこれなのだ。家族の時間を大切にし、自分たちの時間を大切にする。家に着いてから好きなテレビを見たり、家族と今日のことを話し合ったり。彼らに言わせれば、人間として生きる権利を得ているのだろう。

自分の働くイメージとは異なる。

夜遅くまで仕事をする。会社の人と飲みに行く。そして、また仕事に戻っていく。少なくとも、以前の日本では、仕事において成功するとはそういうことだった。

これからの日本はどうなっていくのか。多くの日本人がアメリカの働き方に憧れた。人間として生きる権利をもっと享受したい、自分の時間を大切にしたい。日本は今、転換点にきている。

では、日本がアメリカと同じようにすれば良いのか。個人的には、会社を大切に、同僚を大切に、が好きだ。自分が所属した団体を良くしたいと考えるのは、当然のこと。ただし、それだけでは今後生きることができなくなっていく。自分の経歴を真剣に考えなければ。いつ忠誠心が裏切られるかわからないという悲しみを感じながら生きなければ。そういう意味で、またアメリカを真似しながら生きて行くことになるのかもしれない。

けど、極端にはなりたくない。会社のために働くことが自分の人生を犠牲にすることというアイディアになってほしくない。最近はその傾向を感じる。仕事をとるか、私生活をとるか。その選択を迫られているという傾向を感じる。けど、違うのではないか。仕事と生活を離して考えることなど出来ない。

時間としては、仕事と生活はもちろん分けられなければならない。ただし、生活の中においても、仕事のことを頭の隅においておくようになってほしい。時間としては生活と仕事は分けられるが、思考としては分けられることがない。そうでなければ、今まで仕事に使われていた分のエネルギーを、今後日本はどこに探せばよいのか。ただでさえ他の国に後れを取ろうとしているのに。

会社と独立して生きることは良いことだが、もちろん辛いことでもある。全ての責任は自分にかかってくる。それこそ年俸制の野球選手のようなもの。将来が怖くて、怖くて、堪らないことが増える。もう道は自分で作らなければいけないのだから。

生活を選ぶ権利が私たちにはある。だからこそ、何が幸せなのか、何がゴールなのか、働く上で今後は今以上に質問が増えてくるのだろう。

働いたこともないから、頭の中でだけ想像してみる。想像が今後の生活を助けてくれることを祈りながら、もっと想像してみよう。ただ、理論だけ大きくならないように気をつけなければ。

0 件のコメント:

コメントを投稿