2011年1月31日月曜日

ワシントンDC、最終日

自分の望みを叶えるためには、自分のことではなく、他人のことを考えなければならない。だって、自分のことはもう十分わかっているのだから。

DCでの旅行を通して一番学んだこと。ルームメイトからのコメントだった。

DCでの生活、WMへ遊びに行くこと、ルームメイトが働いていること。今までと違う状況に楽しみながらも、少し疲れることもあった。何をしたら状況はよくなるのだろうか、どうすればもっと楽しく生活することができるのだろうか。自分のことを反省する日々が増えていった。

自分のことを考えていた中での、不意を突かれたようなコメント。自分に向けてのものではなかった。が、今まで自分のことばかり考えていたのではないか、反省せざるを得なかった。

考えてみれば、インターンを通じて嫌というほど理解したはずだった。何度も何度もお客様と衝突しながら。しかし、また同じ失敗をしてしまったのではないか。英語という慣れない環境、修正できたと思っていた弱点がまたもや露呈した。

今後同じ失敗を繰り返すことはできない。生活の中で、日々の日常の中で如何に意識するかが問われてくる。

自分にとってショックな内容、驚いた事実。どんな風に書くか迷う内容であった。

2011年1月28日金曜日

DC11日目、停電

パチパチ、ん?

ノ―、オ―イェス。その場にいた全員をびっくりさせるような停電。

外は狂ったように雪が降っており、1時間で足を埋めるくらいの雪が積もっていた。

思えば帰りの時から雪の降り方が異常だった。歩いているだけで頭の上に雪が溜まってしまうし、車を動かそうとすれば滑ってしまう。普段はスピードを上げる道も、今では20キロで走るのが精一杯。下手をすれば前の車とぶつかりそうになる。帰りの道を急ぎながらも、何台か道路の真ん中で立ち往生してしまった車とすれ違う。可哀想にと思いながらも、明日は我が身。まっすぐに家に帰ることができることを祈る。

雪で動かなくなってしまった車のために渋滞が発生。運転の仕方を知らない残念なドライバーが多いからこんなことになる、と文句を言う。それにしても全く動かないとはどういうことだろう。止まっている間にも雪は積もり、積もった雪が状況を悪くするばかり。中央分離帯に乗り上げてしまった車、道の外に飛び出してしまった車、一体どうやって家に帰るのだろう。自分たちがなんとか家についた頃には、2時間かかっていた。普段は20分なのに。

そんな中の停電。ようやくゆっくり休めるはずが。しかし、たまには真っ暗も悪くない。非日常を楽しもうか。

心の余裕が時間の経過とともになくなる。おかしい、もう1時間は経過した。あたりは雪で覆われている、ヒーターが効かない。寒さが身にしみてくる。

2時間が経過する。停電が直ることを諦める。ろうそくの明かりと暖炉の明かりだけをたよりに、家族全員が集まる。少しキャンプみたいな気持ちになってきた。

みんなが集まったところで、自然と会話が沸き出てくる。友達の話、恋愛の話、昔話。暖炉とろうそくの明かりに乗せられて話がはずむ。集まってたわいもない会話をする。つまらないかもしれないが、心が温かくなる時間。他人のことを思いやりながら会話をする時間。

思えば、自分の家では家族全員が集まってたわいもない会話することなどいつ以来だろう。技術が発達し、各々がやりたいことをやる。自分のスキルを磨いたり、カスタマイズされた音楽を聞いたり、映画を見たり。思い思いのことをやりながら幸せを感じていた。しかし、たまにはこうして技術から離れて、自然のありがたみを感じて、他人のことを思いやる時間があっても良いのかもしれない。

大雪、停電、最悪の状況がもたらした温かい気持ち。人間万事、塞翁が馬。何が起こるか分からない人生。少なくとも楽しむ気持ちだけは忘れないように生きていけたら、と家族を見ながら思った。

2011年1月26日水曜日

DC10日目、DC観光

雷でも落ちたのかと錯覚するような思わずびくっとしてしまう音を発し、威嚇するような蛍光色で周囲を照らす、DCを何台も連続して走るパトカーを見ながら、思わず気を引き締めた。

DCと言えば観光名所でありながら、犯罪の発生率が高い都市。安全な場所から5ブロック間違って行くと、何があっても仕方ない。過去のDC観光では現地の友人が案内してくれていた。現地の人がいるというだけで心に余裕が生まれる。犯罪を心配することなく、観光に専念することができた。むしろ、犯罪のことなど考えたことすらなかったかもしれない。しかし、今回は現地の友人はいない。自分の身は自分で守らねばと思った瞬間に、DCが今までとは違って見えてきてしまった。

観光名所への道なりを、安全な場所なのか、大きな道路であるか、周りに人は十分いるかと考えながら見て回る。楽しむ気分が削がれてしまうかと心配。しかし、温かい天気のおかげで気持ちも明るくなってきた。モールの中、観光名所の中に入ってしまえば安全。ここからは思う存分楽しむ。

温かい気候のDC観光初日、もちろん見て回るのはメモリアルの数々。DCの中には戦争を記念して建てられた記念碑、大統領の功績を称える意味で立てられた記念碑などが多くある。有名なリンカーン記念館などもその一つ。代々木公園よりも大きい敷地の端々に立てられているメモリアル。今日の歩きの工程は思ったよりも長く、長くなりそう。

1日かけて全てのメモリアルを見て回った。ずっと歩き続けていたので、足はパンパンに。たくさん見たメモリアルの中で一番印象に残ったのが、第二次世界大戦メモリアル。リンカーンとワシンントンモニュメントの間に作られているメモリアル。

ボランティアの方が大きな声で案内をしている。もしも良かったら一緒に見て回らないか、と気さくに声をかけてくる。楽しそうな方だったので、一緒に参加させてもらうことに。第二次世界大戦について描かれたパネルを紹介。日本についてどんな風に描かれているのだろうか、もしも日本人と戦っているところが描かれていたら気まずい雰囲気になるのかな、と考えながら話を聞く。パネルの中には日本人の行動が描かれている場面などなかった。アメリカ人が戦争にどう立ち向かい、その家族がどう戦争と向き合ったのか、戦争の裏で必死に生きる人々が描かれていた。アメリカ人の戦死者についての話になる。星の数で死者を表しているとのこと。ボランティアの方がふと、ところで日本ではどのくらいの犠牲者が出たの、と聞いてくる。正式な数はわからないと答える。日本人の犠牲者の方がアメリカ人よりも多いよね、とボランティアの方が答える。そうだと思うと、私が答える。

どんな気持ちでこのメモリアルを見ることが正しい態度だったのか、と今でも悩む。日本人が深くかかわった戦争。アメリカサイドの見方。日本の行動を正当化することもできるし、アメリカ人が核について語らないことを批判することもできる。このメモリアルを見て、第二次世界大戦に対してどう考えるべきか、もう一度再考したいと思った。そういう意味で、一番心に残ったものだった。

さて、帰りもまた気を引き締めて行かなければ。観光モードを切り替えて。

2011年1月25日火曜日

ワシントン10日目、挑戦と迷惑

挑戦することは迷惑をかけることなのか。ふと、生活している最中に感じることがある。

新しいことをやろうとする。自分には知らない分野、全く知識のないこと。当然今の生活とは違うことになる。今の生活と変わることが、他の人にとって迷惑になることがある。その時、自分はどうやって決定していくのだろうか。

例えば、アメリカに行くことを決めたとき。親にとっては金銭的に負担をかけた。友達には一緒に遊べないことになった。所属していたクラブには、自分が参加出来ないことで迷惑をかけた。けれども、挑戦してみたいと思うことだった。日本にいるよりもアメリカにいることの方が、自分にとって良い影響をもらえると思った。

それでは、自分が所属しているクラブが体育会で、自分が選手だったら。それでも自分はアメリカに行ったのか。おそらく行ったとは思う。しかし、あの時に比べてもっと辛い判断をしながら。

そう考えていくと、何かを挑戦することは周りの人に迷惑をかけることに必然的になるのか、少し心配になってくる。自分としては有益だ、良い方向に行くと思ったことが、他人にとっては迷惑に。

大学のころはそれでも所属している団体が少なかったからよかった。大人になっていったらどうなるのか。友人のお父さんが言っていた事を思い出す。社会人になるとは、何をしているときでも会社のことを考えること。自分の行動が会社にどんな影響を与えるか考えること。

働き始めたら挑戦が難しくなる。挑戦すること自体が難しくなる。

うーん、年を取りたいと思っていたが。もっと若い時間を大切にしなければ。

DC9日目、北風と太陽

日本人の美徳、相手を推し量り行動することができること。

アメリカ人の美徳、相手に対して素直に自分の考えを言うことができること。

この考え方を聞くたびに、昔話の北風と太陽の話を思い出す。どちらが旅人の服を脱がすことができるかを、北風と太陽が競う話。風を吹き付けて服をはぎ取ろうした北風に対し、気温を上昇させることによって旅人自らが服を脱すよう仕向けた太陽。

北風のアメリカ人と、太陽の日本人。

ふと毎回疑問に思う。両者の良さは本当にこの点なのか。

人々がアメリカ人は素直に物事を言うから好き、と言っているのを聞くと少し違和感を覚える。確かに、アメリカ人は自分のやって欲しいことを相手に伝える傾向があるかもしれない。しかし、素直に率直に伝えるかどうかは別の話。アメリカ人であっても、もちろん相手や場所に合わせてお世辞を言ったり、相手のことを褒めたりする。それをしないで生きて行くことができるほど、人間関係は楽な世界ではない。日本のように堅苦しく言うのではなく、自然に褒めるから強調されないまでであって。もしも素直に生きるのであれば、相手のアイディアを嫌いだと言う人がいても良いと思うが、そんな人は見たことがない。会議の場においても、日本人のように慎重に言葉を選んで、相手の気持ちを考えて発言している。

逆に日本人であっても素直に物を伝える人は多い。自分の思っていることや、考えを素直に伝える。自分はこう思う、自分はこうしたい、そういう若者は多いのではないか。他の人のことを考えているのであれば、書きこむことができないような内容が日本語でインターネット上に溢れている。他人や他国の悪口。

自己主張をしない人々、日本人。果たして本当なのだろうか。これだけの書きこみがあって、自己主張をしない、相手のことを考えている。本当に言えるのだろうか。

昔留学したときに、やろうと決めたことがある。なるたけ自分の中のレンズを捨てること。今回の話はステレオタイプに基づいた分析を行った結果、間違ったレンズをかけてしまったもの。日本人とはこういうもの、アメリカ人とはこういうもの。そう言った固定概念のもとに生活をしてしまい、当てはまったものだけを拾い見る。そうして凝り固まった考えのもとに生活をしていく。

昔お世話になった先生が言っていた。自分のレンズがどれだけ曇っているか、どれだけ自分を認識することができているか、まずはそれを知ることから始めると良い。

留学を終えてから2年間が経過した。太陽と北風を経験したレンズは晴れるどころか、余計に曇ってしまったのかもしれない。曇りを認識するための努力。まだまだ時間がかかりそうな予感がする。

DC8日目、研究グループの再開

日本の食生活に関してフィールドリサーチを行い、何度も一緒にインタビューを行ったグループ。懐かしの面々と再会した。

グループを率いてくれた教授。日本の出身ながら単身アメリカに渡り、アメリカの大学に通い、教授になるという道を選んだ人。日本からまだ海外に行く人すら少なかった時代を考えれば、異人。妙な経歴のせいなのか、考え方も枠にはまっておらず、ユニークな人だ。

リサーチメンバーの面々。大学から選抜され、日本の食生活について一緒に学んできた人々。ベンチャーで働きながら日本語をインターネット上で教えている人や、音楽の道を目指して努力している人、はたまた大学院に通って教授を目指している人まで。全員、自分で道を開拓していくことが大好きなメンバー。

お世話になった日本人コーディネーターの家で、美味しい料理を食べながら、お互いの状況を語り合った。

一つの話題に対して意見を出していく。和洋折衷とはこのことか。その場にいる全員が話題に対する考えを持っている。しかし、他の人のことも考えて発言をするようにする。他人のことを気遣うことができる雰囲気、非常に好きな雰囲気だ。

グループというのはともすれば疎遠になりがちなものだ。特に、海外との関係というのは特に。地理的に遠い、自分の生活と関係が薄くなる、生活や文化の違い。しかし、このグループは、将来まで良い関係を続けることができるようになりたい。

成功しそうな面白い人が集まっているだけに、全員成功してテーブルに着く日を楽しみに。